コーヒーと映画と与太と妄想と 第五回

試写とランチの微妙な関係

私は洋画の試写を観たいがために洋画雑誌「スクリーン」の編集部に(半ば強引に)入社した。なので3年余りの編集部員暮らしの間、許される限り洋画配給会社の試写室に駆け込んでいた。午前中の特別試写、夜のホール試写は別として、通常の社内試写はどこの配給会社でも平日の午後1時と3時に組まれる。そのため編集長や上司の方々は午後ともなると試写鑑賞で不在となられるので、私か同期入社のU君のどちらかが編集部に残っていなければならない。1時か3時か、毎度融通つけあって交互に見に行っていた。
3時の場合はそうでもないが1時の試写に行くとき私は大変だった。上の人たちは何くわぬ顔で昼前に編集部を出て、ランチタイムをゆっくり過ごし試写室へ向かわれているらしかったが、下っ端はそうはいかないのだ。午前中は、送本の上書き、頼まれている写真探し、原稿整理、電話の応対などの雑務が山のようにある。済ませなければ出かけにくいので必死で片付ける。時計の針が12時に近づくのをチラチラと横目で見ながら徐々に出かける支度をする。そして2本の針が重なったと同時に編集業務をバタンと閉じて席を立ち表に飛び出す。試写開始10分前までに席に着きたい私には12時きっかり社を出ても50分しか残されていない。1分でも無駄にはできない。移動時間を差し引くとランチタイムは30分ほどのタイトさだったから。
当時(53年前)のスクリーン編集部は銀座5丁目英國屋ビル2階にあったので、表に出たらその日の試写先によって銀座通りを右に行くか左に行くかが決まった。新橋にあるヘラルド映画かコロンビア映画の試写室へ行きたいときは右へ。東和映画か、またはMGM、フォックス、ワーナーの3社が入っているフィルムビルか、さらに築地の松竹映配に行きたいときは左方向へ向かう。その途中でランチを摂る、というのが分刻みのタイトロープには鉄則なのだ。唯一ユナイト映画だけは少し離れた虎ノ門にあるので1時の試写はパスにしていた。
何ゆえそこまでして開始10分前までに試写室入りを果たしたいかというと、私には一番前の席を確保する必要があるからだ。今ではかなり改善されたと思うけれど、当時の試写室の座席といえば前の席との間隔は狭く高低差も少なく、前に体格のいい人に座られるとチビな私はアウトなのである。試写室のスクリーンは小さい。たとえ前席の人が大きくはなくたって髪型や頭のサイズで私には見える範囲が狭くなる。特に下部の字幕が見えない。外国語が理解できない人間にとって字幕が見えない洋画を見続けることほどしんどいことはない。
だからといってキョロキョロと頭を右に左に動かして覗き見るなんてことはタブー中のタブーだ。おエライさん(ここで言うおエライさんとは映画評論家、解説者、作家、俳優、有名人など)方の並ぶ試写室、どこかのくだらない映画雑誌の下っ端編集女子としては上映中キョロキョロ頭を動かすなんてことは恐ろしくて、とてもできない相談だった。つまり、だから、面倒でも、(おエライさんを前にして)恐れ多くても、何がなんでも、皆様より早く行って一番前の席に着かなきゃならないという筋書きなのである。

スタバはもちろんマクドナルドもない頃の話だ。何せ銀座だから私の走り回るエリア内にはコーヒースタンドも立ち食い蕎麦屋もなかった。そんな中、30分くらいで昼ごはんを食べコーヒーを飲んでしまわねばならない。別に“ねばならない”わけではないが、食後のコーヒーを飲んでいないと安心して映画に心酔できないので、やはりここは大急ぎでも飲んでしまわなければならないのだ。
すると行き先はどうしたって軽食の摂れる喫茶店ということになる。後々は行きつけの喫茶店の5つや6つすぐに口にできたけれど、このときはまだ上京して3年目の、銀座などよくは知らない小娘だから行き先はたった3軒。少なかった。
新橋方面へ向かうときは銀座8丁目の「カフェ・パウリスタ」に入った。銀座を代表する老舗中の老舗(明治44年創業)だ。私のような小娘でさえ常連客に、森鴎外、与謝野晶子、菊池寛、芥川龍之介、谷崎潤一郎、森茉莉、などの錚々たる作家たちが名を連ねていることを知っている。そういう店である以上敷居は相当高く見えたが、意を決して入ってみると広く明るく落ち着いた店内ではサラリーマンや近所のご隠居風情の中高年が静かにコーヒーを飲んでいて、その光景がとてもフレンドリーに思えてすぐに馴染めた。ブラジルコーヒーが“売り”だった。小娘は酸味の効いた濃いめの味に「他の店とはちがう!」と驚いた。ここで深煎りローストの苦めのコーヒーが自分の口に合うことを学んだと思う。
けれど美味しいと閃いても、2杯飲んだ記憶はない。1杯の値段がそのときの小娘には少々お高かったろうし、時間がなくて2杯目には手が届かなかったはずだ。酸っぱめ苦めのコーヒー1杯とサンドイッチでお腹を満たし、新橋までひとっ走りすると開始10分前までに試写室に着けた。

銀座1丁目の東和へ行くときは晴海通りを横切って銀座4丁目のテイジンメンズショップ2階「VANスナック」(スナックVANが正しい名称らしいが私はこう呼んでいた)に入った。VANの服を扱う1階フロアから螺旋階段で2階へ登ると細長いスナックバーになる。スナックと言ってもママがいて飲んで歌えるようなスナックではない。「平凡パンチ」などにも載るような当時はオシャレ最前線の店だった。アイビー・ファッションで一世を風靡したVANの店らしく、コーラとホットドッグやコーヒーとハンバーガーなどのランチセットが若者たちに受けていたが、何故か私はコーヒーとチキンバスケットが定食だった。チキンは苦手だったくせにこの店のフライドポテト添え唐揚げは好きだった。赤白格子柄のナフキンの敷かれた小さなバスケットに入ってくるのがオシャレに見える・・・そういう時代だ。コーヒーの味は覚えていない。売っている服も店の内装も食べ物のスタイルも全てがアメリカン・スタイルだから、コーヒーも当然薄めのアメリカンだったろう。アイビースタイル決め決めのかっこいいお兄さん(ウエイター)に見惚れながらチキンとコーヒーを詰め込んでいた。その後ガス灯通りを疾走し東和試写室に走り込んだ。

銀座3丁目のフィルムビルや築地1丁目の松竹映配へ行くときは銀座4丁目交差点そばの「ジャーマンベーカリー銀座店」でホットドッグとコーヒーを詰め込んだ。コーヒーは薄めでソーセージとパンは香ばしく濃く深い味がした。ジャーマンベーカリーというのだからドイツ風かというと、有楽町店には多少その雰囲気がなきにしもあらずだったがこの銀座店はなんというか、明るくて飾りも何もない素っ気ないインテリアだ。その素っ気なさが昔々の(50年代だろうか)アメリカ映画に登場しそうな懐かしさを感じさせて気に入っていた。白い壁に学生食堂で使っているようなアルミの椅子とテーブルだった。あとは何もないせいか、椅子を引く音やカップを置く音、奥のキッチンの食器を重ねる音などがやたら大きく聞こえていた。値段はかなり安かったと思う。ときどきドイツ人のゴツいおばさんがサーヴィスしてくれた。ゆっくりと憩いたくなるような場所ではないのが急いでいる私には具合良かった。

超特急でランチして試写室に駆け込み最前列のシートに座ると、徐々に人が席に着き始め、気がつけば右も左もおエライさんということが多々あった。「ヒヨッコめが。一番前に座るのは百年早いワ!」と言われていそうで緊張したが、字幕が見えなくなるよりはマシだと頑張った。いつだったか、めずらしく遅れて開始ぎりぎりに試写室に着いた日、当然最前列は満席だった。前の方だと空いているのは2列目の右端のみだ。やたら見にくい席であちゃーと思ったが仕方ない。渋々座って前列にお並びの方々の後ろ姿を拝見した。そして私の前の席に腰を下ろしておいでの、ことの他大きな体格の持ち主が中上健次さんであるのがわかった。こんなに大きい人でも一番前でご覧になりたいのかと不思議な気がした。一番後ろの席でも悠々見えるだろうに、と。
映画が始まると案の定スクリーンの下の字幕部分がほとんど見えずに難儀したけれど、でも、天下の中上健次の後ろ姿をシルエットながら2時間弱じっくり拝見できたのは不幸中の幸いと、わりかし嬉しい午後になった。

つづく。

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