コーヒーと映画と与太と妄想と 第六回

17歳の濃厚すぎる一日について

1965年、17歳の秋、修学旅行で東京へ行った。いや、東京の前にお決まりの奈良・京都へ行ったはずだが、“鹿に煎餅取られたなあ”くらいしか記憶にはない。修学と付いているのだから勉強目的の旅に違いないのだろうけれど、イケイケドンドンの10代である、寺を堪能するには若すぎるのだ。授業のようで面白くない。もちろんそれは勉強嫌いの言いわけで、子供の頃から寺が好きという人もいると思うが、私の場合、神社仏閣探訪は楽し嬉しのワンダーランド、とわかったのは二十歳をすぎてからだった。自らの意思で歩き回ると同じところがこうも面白く輝いて見えるのかと夢中になった。つまりは上からのお仕着せではなく自分の意思が大切なのだ。
なのでそのあとの東京は全然違った。自らの意思で動けた東京は面白かった。刺激ありすぎで知恵熱が出て、帰りの列車ではぐったりとお疲れ状態で揺られていたが。

私の通っていた高校はかなり自由なところで、修学旅行も前半の奈良・京都は必須旅程だったが、後半の東京からは、都内観光、横浜・鎌倉、日光東照宮・華厳の滝、といくつかコースが用意され、好きなコースを取ることができた。私は都内観光の中の「自由行動」を選んだ。都内に住む身元引受人の付き添いがあれば朝から夜の帰宿時間まで自由に過ごせるというものだ。地方の高校生の付き添いに朝から夜まではとても費やせないという人が多かったのか、それを選んだのはクラスに二人、私と仲良しのショウコだけだった。二人には東京の大学に通う兄がいた。大学生には時間があった。兄が付き添い送り届けるという形で私たち二人は解放された。「じゃ夜にね」「楽しんでね」と、旅館の玄関先でショウコと手を振り別れた朝の透明な空気の感触は忘れられない。
私は前もって行きたいところを兄に知らせておいた。一日で回れるであろう行き先を綿密に雑誌で調べ順番も指定した。が、地下鉄の駅に向かう途中「まずはカツコおばちゃんの家に行かねば」と兄は言った。カツコおばちゃんというのは母の妹で結婚して世田谷に住んでいるのだ。熊本に帰省するときはいつもチョコレートやクッキーやウイスキーボンボン、ハンカチやブローチやカードなど、地方では見たこともない美味しい、かわいい、綺麗なものをお土産にくれるのだ。本心はすぐにでも東京の街を見て回りたいところだが、そういう恩人にはいの一番に挨拶するのが当たり前かと、しぶしぶだったが頷いた。
そして初めて地下鉄に乗ったのだ。古い車両の銀座線だ。怖かった。そのけたたましい轟音と揺れに驚き、怯えもした。ドア近くのポールを握りしめ、脱線するんじゃないかと大声で兄に訴えた。「田舎くさいな」と兄は他人のような顔をしていたが、この音と揺れの中、乗客の皆が皆平気な顔で本を読み居眠りをしていられる方が不思議に思えた。
渋谷に着いて東急電車に乗り換えた。当時はルート246を電車が走っていたのだ。その電車はいわゆる「青ガエル」である。雨蛙が好きなので、カツコ叔母さんから「いつも乗ってる」という話を聞くたび自分も乗ってみたいと憧れていた電車である。ゆえに乗ったら自然に笑みが浮かんだ。叔母さんちに行くことにして良かった、としぶしぶ心が吹っ飛んだ。

余談になるがこの「青ガエル」、つまり東急5000系電車は私が生まれた6年後の1954年東急東横線でデビューした。それから32年間走り抜きご苦労さまと引退した。引退後は長野、熊本、福島などの地方の電鉄会社にて第二の人生を送っていた。熊本では2016年まで熊本電鉄の上熊本=北熊本間を走行し、熊本市民にかわいい姿を見せてくれた。私も用もないのに何回か乗りに行った。雑誌の仕事で「青ガエル」とのツーショットを撮ってもらったこともある。
その第二の人生も老朽化には勝てなかったか、2006年「青ガエル」は渋谷駅に里帰りし、ハチ公前に観光案内所として展示された。私はそれが痛々しく思えて見に行けなかった。しかしそれも今では渋谷大開発の邪魔であるらしく、去年だったか、名犬ハチ公の生まれ故郷、秋田県大館市に移設された・・・という話を聞いた。渋谷駅で隣同士だった所以か。寂しい気もしたがスクラップ直行という電車も多い中、まあまあ長閑な老後であると安堵もした。

話は戻って1965年である。その「青ガエル」で世田谷の弦巻まで行き、叔母の家でお昼をいただき、歓談は早々に切り上げて日比谷に向かった。最初の目的地が日比谷公園お向かいの角地に建っている老舗洋画館「日比谷映画」なのだ。
日比谷は皇居と銀座の間に位置している。外堀通りから晴海通りへと繋がるところの銀座の玄関口である。今では全てがシネコンに吸収され巨大なビルが立ち並ぶだけとなったが、その昔のこの一帯は、日比谷映画、みゆき座、そしてもう一館シネシャンテ(だったろうか)と独立した映画館が並び、隣り合うように宝塚劇場、日生劇場があって、映画演劇好きには堪えられない華やかな一角だった。
もちろん17歳の田舎娘はそういうことなど1ミリも知らない。ただ雑誌などから得た情報をもとに行きたいところを決めて兄に伝えただけなのだ。私はこう言った、「まず、今公開中のビートルズの『ヘルプ!4人はアイドル』を観て、そのあと行けたら銀座ACBでスパイダーズの舞台を見て、夜は劇団四季の『オンディーヌ』を観たいわけ」と。兄は詳しい観劇スケジュールを組み立ててチケットの前売りを購入した。費用はもちろん親持ちだ。
ギリギリで「ヘルプ!4人はアイドル」を公開中の日比谷映画の前に到着。どうやら満席となっているらしく映画館の前には入れない女の子たちの長蛇の列ができていた。私たちは前売りを持っているので速やかに入館できたが、地方の学校の制服姿の私をダサいと思ったからか、あとから来てさっさと入館する田舎者が癪に触ったのか、ドアを開けた背中にその女の子たちの冷たい視線が矢のように刺さったことをくっきりと覚えている。

「ヘルプ!4人はアイドル」では騒いだ。私も含め座席でキャアキャア喚いている女の子たちの中で兄は一人固まっていた。ヘトヘトになって日比谷映画を出た。私の予定では次は銀座ACBとなっていたが、兄は「ACBはまだやっていないし、どうしようか。夕方ACBに行くとすると『オンディーヌ』には間に合わなくなる。チケット優先でACBは止めよう」と言う。その日ACBにはスパイダーズが出るはず(もちろん調査済み)だったが、劇団四季の高額なチケット料金を無駄にはできない。仕方ないから諦めた。
しかし『オンディーヌ』の開演までには時間がある。けれど夕ご飯にはちと早い。どっちつかずの時間を潰しに近くにあった名曲喫茶店に入ることにした。兄も、もちろん私も名曲喫茶は初体験だ。どういうところか興味津々、店名は忘れたが記憶ではみゆき座斜め前あたりにあった重厚な店構えの名曲喫茶店だ。
入ると中は薄暗く、煙草の匂いに満ち満ちていた。建物は複雑な構造で中地下、1階、2階と別れていた。ほぼ満席で私たちは1階の奥の席に案内された。店内には当然ながらクラシック音楽が程良い音量で流れていた。ボーイさんにコーヒーを頼むと小さい紙切れを渡された。これは何かと訊くと「リクエスト用紙です」と言う。聴きたい曲がリクエストできると言う。兄は呑気なハワイアン青年で、私もクラシックには弱く、咄嗟に曲名など出てこない。ああだこうだと言い合った上で「シューベルトの『ます』」と書いて渡した。中学校の給食時間に流れていたので馴染みの曲だ。
店内のテーブルには、待ち合わせの人、本を読む人、音楽に没入する人、黙って見つめあっている男女、など様々な客がいた。話し声はほとんどしない。電話をかけに行く人(もちろん携帯電話はない時代だ)、トイレに行く人、会計を頼む人、と席を立つときも誰一人音を立てない。聴こえるのは芳醇な音楽!音楽!音楽!だ。その中に浮かび上がる都会人の様々な横顔。まるで映画の一コマのようだった。
リクエストした「ます」が流れると知らない街で懐かしい友人に出会ったような喜びに包まれた。けれどより衝撃的だったのは次に流れてきたピアノ曲である。その美しすぎる旋律に鳥肌が立った。どこかで耳にした気がするがわからない。ボーイさんを呼んで曲名を訊くと「ショパンの夜想曲第一番でございます」と彼は答えた。そうかー、ショパンだったのかー、さすがだなあ・・・。17歳は深く深く感動するのである。今目の前にしている人々とこのドラマティックな音楽が一体化して、生きていくことの素敵さ・・・のようなものが伝わってくるのである。私もこの人たちのように「早く大人になりたいなあ」と強く強く願うのである。
店を出ると一直線、のちに花椿通りと命名される通りを南へ真っ直ぐ進み、銀座7丁目の交差点を渡って「ヤマハ銀座店」へ突入した。レコード売り場のクラシック・コーナーへ行き、ショパンの「夜想曲全集」を買った。ピアノは誰でも良かった、というかピアニストを知らなかった。大事に持ち帰ったそのレコードを名曲喫茶で出会えたシーンを思い出しながら何度も聴いた。今は見つからず誰の演奏だったかは以前謎なのだが。

話は戻る。レコードを買ったあと日比谷に戻り、早めの夕食を摂った。今思うと入った店は有楽町の洋食屋「ベニシカ」だ。有楽町は日比谷の隣で日生劇場まで徒歩5分。斜め前の席で金髪の老嬢がステーキをバリバリお食べになっているのを盗み見ながらカニコロッケを食べた。金髪の老嬢を目にするのもカニコロッケを食べるのも初体験だった。
午後6時過ぎ、ついに日生劇場の扉を押す。ロビーは広く天井も高く、それまでに私が目にしてきた中では最もゴージャスな劇場だった。中央に大きな階段があり、それを上って場内へ入る。もう半分かたお客さんが席につき、ザワザワと嬉しさに満ちた声が漂っている。開演前の一番幸せな時間である。私も緊張と喜びに顔を赤く染めながら席に着いた。大都会の超一流劇場の席に着いている自分が信じられない。観たくてたまらなかった話題の舞台がこれから目の前で始まるということも夢のようだ。早くも涙が溢れてきそうな気がしてバッグから(確か白いビニールのダサすぎるバッグだったが)ハンカチを取り出していた。
「オンディーヌ」は元々はバレエの演目で、水の精オンディーヌと騎士パレモンの悲恋話だ。オンディーヌを加賀まりこが演じると知って何としても観たかった。デビュー間もない加賀まりこは可愛くて女の子たちの憧れだった。雑誌でこの公演と修学旅行の日程が重なるのを見つけたときの喜びたるや、世界がひっくり返ったかのようだった。そのとき、神様は確かにいる、と私は思った。長くなるので舞台の話は端折るが、あやしくも美しいオンディーヌを演じる若き加賀まりこの可憐さと言ったら、今まで知っているの女優の中で右に出る者ナシと思う。

劇場を出ると9時を回っていた。帰宿時間の門限は9時である。時計を見た兄はややや、と唸り「こらいかん、タクシー奢るぞ」と手を挙げた。私はまだ夢から覚めずで、ただただボーっと突っ立っていた。旅館に着き、兄妹並んで「時間厳守!」と担当の先生に怒られているところに、何とショウコとお兄さんが走り込んできた。2組の兄妹を前に「今回は許すけど」などと訓戒を垂れる先生の目を盗み、ショウコと二人笑い合う。その目は互いに「どこで何してきたと?」と訊ねる目である。このあと布団の中でじっくりと話そうね、という目でもある。

つづく。

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