コーヒーと映画と与太と妄想と 第七回

ここより何処かへ

ここではない何処かへ行きたい、という人類永遠の願望をごくごくささやかに叶えてくれる小旅行が好きだ。宇宙に、海外に、行かなくても、そこら中に未知を愉しむ“すべ”はある。
梅雨の明けた或る朝、食堂の棚の上に置いているポータブル・ラジオから田島貴男の伸びやかな歌声が聴こえてきて、洗い物をする手が止まった。昔何度も聞いた彼のソロ・ユニット“オリジナル・ラブ”のアルバム『風の歌を聴け』の中の一曲だ。タイトルは忘れてしまったが、ブンブカブンブカと刻まれる独特なギターのリズムと田島貴男の太平洋のような歌声が、光さざめく海辺の景色をキッチンの窓辺に誘って無性にドライブしたくなった。と言っても、車も免許もない私は連れて行ってもらうだけの立場だが、それでも今すぐ助手席の窓を開け流れる風を頬いっぱいに受け、髪をワサワサとお化けのように揺らしながら「気持ちいいなあ〜」と叫びたくなった。眉毛が濃すぎて苦手な顔だが田島貴男のこのアルバムは何処で聴いても海辺の風を感じさせる。大好きだ。海岸線を突っ走り(と言ってもあくまでも助手席で)海へと向かっていた昔の日々を蘇らせてくれるのだ。

若い頃のドライブはいつも彼の車で、行き先はもっぱら伊豆半島だった。その時々で東、南、西へと行って趣豊かな伊豆の海を楽しんだ。南伊豆の弓形の浜辺ではサンドスキーボードでお子様遊びに毛の生えたようなサーフィンをした。西伊豆や東伊豆の海では、泳げないがシュノーケリングは多少できるので岩場に潜ってかわいいハコフグやタツノオトシゴと戯れた。日焼けが怖い年頃になると行き先を変更し、奥湯河原や伊豆高原の深い緑を楽しんだ。滝に打たれ、イノシシに出会い、採ってきたキノコを炉端で焼いた。毎度音楽を山のように持って行き(初めはカセット・テープ、のちにMD。まだCDのない時代だ)、海や山を眺めながら聴いていた。私はカセット・デッキやウォークマンの登場で移動するのに音楽が欠かせなくなった最初の世代である。
東京を出るときは決まってベートーヴェンの『ピアノ協奏曲第一番 皇帝』をかけた。♪バーンババンババンバンバンバ バーンババンババンバンバンバ♪という力強く軽快なフレーズが「さあ、いざ伊豆へ出発だー」との気分に最もフィットしたからだ。ゴダールの『気ちがいピエロ』に薫陶を受けて以来、疾走する車の中でクラシック音楽をガンガン流してはいい気になっていた。

高速を抜け左に相模灘が見え始めるとそれはウエストコースト・サウンドに変わる。当時(40数年前)はカリフォルニアが若者の天国だったから海岸線を見ながら聴く曲となると当然ウエストコースト・サウンドなのである。私は何と言ってもジャクソン・ブラウン、クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤング、ザ・バンドで、彼はドアーズ、ジェファーソン・エアプレイン、ドゥービー・ブラザースだった。あ、もちろん王座にはイーグルスがいた。「次はオレ」「そん次は私」と競ってひっきりなしにかけまくった。そんなに聴いてどうすんの? と今は思う。けれど、若気の至り、といえばそうなのだろうが海へ行く気分を盛り上げる要素にともに聴く音楽が欠かせない年頃であり時代だった。今はどうなっているのだろう。共有するよりもイヤホンで一人それぞれ聴く時代の今は・・・。

とはいえ当時も列車の旅にはイヤホンが欠かせなかったのだ。北国へは列車で行っていた。スキー場に行くこともあったから上越線が最も利用した路線となる。40年ほど前の上越線は列車と言うより汽車と呼びたいところだが、すでに蒸気ではないから列車と言うしかない。上野から新潟まで、埼玉、群馬の山間部を抜け越後湯沢を通過する、いわゆる“トンネルを抜けるとそこは雪国だった”の列車である。今は上越新幹線となりアッという間に走り抜いてしまうが、当時はゴトゴトと体に心地良い速度で進み、谷川岳や尾瀬を抱えた三国山脈のパノラマ景色を披露した。高崎を過ぎると森林地帯に入る。列車の窓外には、冬は粉雪を塗した木々、夏場は幾重ものグラデーションを見せて重なる樹木が広がって、車内からも森のその深閑とした空気が感じられるほどだった。そういうとき聴くのはグレン・グールドの弾くバッハの『平均律クラヴィーア曲集第一巻』だ。決してモーツァルトではなかった。イヤホンを耳に差し込み、初代ウォークマンの音量を頭の中が演奏ホールに変わるほど上げて聴いていた。どれほど上げても聴こえてくるのはピアノの音だけだ。群馬の森の中の風景とグールドの恐ろしいほどに抑揚を抑えたバッハの旋律は、その静謐さにおいて双子の兄弟のようによく似ていた。
ちょうど第一巻24曲の終わる頃列車は長岡駅に着いた。新潟駅に向かうならそのまま乗っているが、能登半島を目指したそのときはそこで信越本線に乗り換えて直江津まで行き、直江津で北陸本線に乗り換えて富山の先の高岡まで行き、そこで1両のかわいい氷見線に乗り換えて能登半島の入り口氷見まで向かったと思う。最高に楽しい乗り換えルートだが、何せ40年も前のことだから正確ではないかもしれない。けれどこれだけは覚えている。長岡から信越本線に乗り換えて10駅ほど進んだ柏崎駅で、目を見張る素敵な出来事が待っていたのだ。
真冬の北陸、長岡から柏崎までの車窓は雪景色だった。真っ白に染まった越後の田園地帯を北に向かって垂直に進んできた信越本線は柏崎駅に到着すると、ガタンガタガタと音を立て進行方向を左に変えたようだった。私は進行方向右側座席に座っていた。そして出発、柏崎駅を出てどのくらい経っただろうか、いきなり右側に海が現れたのだ。日本海だ。初めて見る日本海だ。思わず「わお!」と叫んでしまった。車掌アナウンスが「この先しばらくは右手に日本海を望みながら進みます」というようなことを告げた。慌てて地図を広げ位置を確認する。おう、おう、おう、これはまさしく日本海、憧れの日本海だ。それじゃ右の後ろの方に見えるのは佐渡島ではないか! いつかは行きたい(我慢できずに翌年行った)佐渡島ではないか!   と胸の内で大声を出した。九州生まれの北国好きには涎が出るほどにたまらない北陸景色だったのだ。
急ぎバッグからピエール・フルニエ演奏のバッハ『無伴奏チェロ組曲全集』のMD盤を取り出した。名前に惹かれこれから行こうとしている能登半島突端の狼煙海岸で日本海を見つめながら聴くために持ってきていたのである。しかし今こそが、突然日本海が現れた今こそが聴きどきだろうとスイッチをON!そしてやはりと頷いた。冬の日本海のどんよりした鈍色の海を見ながら列車に揺られているときのBGMにこれ以上のものはない、と。
何でもない景色と何でもない時間が映画でも観ているように、ロマンチックに、ドラマチックに思えてくるのだ。妄想が妄想を呼び自分がまるで映画の中の人物のように思えてくるのだ。深い悩みを抱えた人であるかのように思えてくるのだ。これから誰かに秘密裏に逢いに行く人のようにも思えてくるのだ。なんと愉快なことだろう。フルニエの憂鬱で深く柔らかなチェロの音が北陸めぐりのたいしたことない一人旅を極上のひとときに仕立ててくれているのだった。

私にとって車でも列車でも、旅の魅力の半分以上はこんな具合に目的地に着く前のその過程にある。旅先に着くまでの移動時間が楽しいのだ。なのでそれをできるだけ長く延ばそうと、地図を広げて時間のかかる面倒くさいルートを組み立てる。列車だと、乗り換えて、乗り換えて、乗り換える。乗り換え続きにワクワクする。車両も変わるし車内の雰囲気も人も言葉もガラリと変わって興味は尽きない。乗り換え列車を待っていると誰かのお宅に遊びに行くときのような期待でいっぱいの気分になる。それが楽しい。そういう楽しいことを続けているうちに鉄道の旅が好きな、“鉄子”ならぬ“旅子”の端くれとなったのかもしれない。

映画においても旅を描いたストーリー、つまりロード・ムービーがついつい気になる。いろいろと観てきたが、思い返せば私のロード・ムービー遍歴は半世紀以上前のディズニー映画『三匹荒野を行く』から始まっていることに気がついた。高校生の頃観たと思う。何かの理由でよそに預けられたブルテリア犬とラブラドール犬、そしてシャム猫の三匹が我が家を目指して長い旅をするという内容だった。舞台はアメリカだから、山あり谷あり森あり河ありクマとの戦いもあったりして、一筋縄では帰れない。しかし三匹で力を合わせ、慟哭と絶望と希望と冒険の長い道程を乗り越えて無事家に帰るまでの、まあ子供向けのストーリーだったけれど、どうもそのあたりから何処かを目指して移動することに興味を覚えたような気がする。

好きな作品はたくさんあって、それをいちいち書いていたらキリがないので、特に心に食いついている『イージー・ライダー』について少し喋らせていただこう。私の世代でロード・ムービーと言ったら、やはり、どうしても、時代の空気感満載のこの作品に白羽の矢が立つ。アメリカ公開が‘69年、日本公開が’70年。リアルな世界でもヒッピー、マリファナ、ドラッグ、ドロップアウトなどが花開いていた頃の映画だ。
麻薬の密輸で稼いだ大金を元手に、バイクに乗って仕事も家族も何も持たず自由気ままに旅を続けるアウトローの二人の男の話である。それまでにも旅を描いた映画は数しれずあったけれど、ここまでただただバイクで走るだけのものはなかった。スクリーンに入社して少し経ち初めて行った夕方のホールの試写で観たのだが、何もかもが衝撃的で打ちのめされて、のほほんと「観終わったら小洒落た店で晩ごはんでも」と考えていた自分は消えていた。
まず最初に驚かされたのが音楽だ。冒頭、疾走するやたら長いイーグルハンドルの2台のバイクにステッペンウルフの『ワイルドでいこう!』が重なり響いて、その迫力に私だけでなく誰もが全身鳥肌となって画面に引き込まれたはずである。音楽映画じゃあるまいに、こんなカッコいいスタートってあるだろうか。文句つけようがないじゃないか。私は驚きで開けた口をしばらく閉じられなかった。カリフォルニアからニューオリンズまでの長旅にザ・バンドやザ・バーズ、ザ・ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスなどの曲が覆いかぶさり続いていく。いわゆる映画音楽とは一線を画して既成の曲がふんだんに使われ、それが見事に成功していた。観客はみんな乗りに乗っていた。後ろで踊っている連中もいた。のちに出てくるミュージック・ビデオは全てこれをお手本に作られたと私は思っている。
二人は途中ヒッピーのコミューンに寄ったり、町で騒いだり、野宿したりして気ままな旅を続けていくが、それは生真面目に生きている人たちの目には屑のような、我慢できないものに映るのである。そこらあたりからどことなく不穏な空気が漂い始めて、観客は胸が苦しくなっていく。内容を詳しくは話せないけれど(アハハハ、もうみなさんご存知だよね)、衝撃的なラストへの持って行きかたがうまいなあ、と監督・脚本のデニス・ホッパーを見直した。彼は主役の一人でもある。もう一人の主役ピーター・フォンダも脚本を担当している。このナマでも反体制派の二人の俳優による反体制の末路を描いた苦い映画は挫折だらけだった日本の若者に大ヒットした。

『イージーライダー』についてこんなに長く書くつもりはなかったので焦ってきた。『都会のアリス』『まわり道』『さすらい』というヴィム・ヴェンダースのロード・ムービー三部作に触れようと思ったのだけど、もっと大事な『ノマドランド』に辿り着けなくなりそうなので割愛する。

『ノマドランド』は第77回ヴェネチア国際映画祭金獅子賞受賞のほか、93回アカデミー賞作品・監督・主演女優賞も受賞した。アカデミー賞にしてはめずらしくマトモな選考だと拍手したのを覚えている。監督はクロエ・ジャオという若い中国人女性で、新鋭ながら低予算の小規模作品を丁寧に美しく感動的に語り上げた。
映画を観て初めて知ったがノマドとは遊牧民という意味で、季節労働をこなしながらアメリカ各地を旅して回る人たちのことを言うらしい。原作は2008年金融危機の煽りを受けリタイアー後家を手放し自家用車で全米を回って職探しをせざるを得なくなった人たちをルポした『ノマド:漂流する高齢労働者たち』。ちなみに実在のノマドの人たちが映画の中に登場する、というか主人公と共演している。
その主人公60代のファーンという未亡人を名優フランシス・マクドーマンドが演じて最高にカッコいい。短い髪、着古したセーターやスエットによれよれのチノパン。色気の“い”の字も寄せ付けない私好みのスタイルである。
内容を大雑把にまとめるとこんな風だ。リーマンショックの煽りを受けて家を失ったファーンは自家用ワゴン車に所持品を詰め込み、アメリカ各地を転々と季節労働者として旅して回わっている。季節労働のない時期はAmazonの倉庫で短期就労者として働く。仕事を求めて旅する先は荒野、砂漠、岩山、峡谷、と様々で、アメリカの雄大な風景のもとその日暮らしをつましく続ける。移動生活は孤独だが自由、貧乏だが自由、何者にも囚われず自由である。
旅先で出会ったノマドの人たちとしばしのあたたかいときを過ごし、不確かだけれど交流も生まれ、仲の良い人もできるが、それは数日間のことと初めから決まっている。出会いと別れはノマドの宿命、だから自由でいられるのかもしれない。こういう生活が長くなると、車の修理費を妹の家に借りに行ったり、ノマド・キャンプで仲良くなった男の呼びかけで彼の家族の家に行ったりしても、ファーンはすぐに帰りたくなる、今の自分の居場所である車の中に。
移動するシーンは少ないけれど背景に現れるアメリカの大自然が素晴らしい。日中Amazonの倉庫で働き、夕方は荒野の向こうに沈む夕陽を眺めて過ごすファーン。見渡す限り独りだけれど美しい自然がすぐ目の前にあり充足した表情である。明日はどこにいるのかわからないが日々精一杯生きようと思う。自由で誇り高い旅を続けて、私の生きる道、生きる場所を見つけようと彼女は思う。
かなり大雑把に書いたが以上のような話である。孤独がヒリヒリと伝わってくるのに悠然と自分を貫くファーンが素晴らしいと、ラストの胸に沁みるシーンに見惚れていたら、耳の奥にある曲が聴こえてきた。それはBS放送「ヒロシのぼっちキャンプ」のオープニングに流れるエディ・ヴェダーの『Guaranteed』という曲だった。

♪ひざまずいていては自由になれない
空のグラスを高々とかかげて
どこへ行こうと自分らしくいよう
自由でいるために

僕に構わないで道は見つけるから
迷いなく空をめぐる星のように
信んじたルールで生きてみたい
ゆるぎなく

髪に風を感じ自然の中をいく
見失った道を取り戻すために
夜の闇にまぎれ木々が歌っている
ぼくの頭上で

誰もが少しずつ人生に囚われ
家族でさえ見知らぬ存在に
多くの疑問への答えに迷う
そして日々は続く ♪

という訳詞が番組では小さなジープを運転するヒロシの美しい横顔に重なる。私はこの歌を聴くたびに旅に出たくなる、というかここより何処かへ行きたくなる。ここじゃない何処かへ。自分の生きる道を探しに。

つづく。

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