コーヒーと映画と与太と妄想と 第八回

「モモの話」

先月『イージー・ライダー』の箇所で、疾走する2台のバイクにステッペンウルフの『ワイルドでいこう!』が重なるオープニングを「こんなカッコいいスタートってあるだろうか」と書いたのだった。それがです・・・・忘れていたけどあるのだった。書いた後、他にもあったかと記憶の糸をたぐったらすぐに出てきた。公開当時は超カッコいいと痺れに痺れたそれは、『サタデー・ナイト・フィーバー』のオープニングだ。
上映開始と共に画面いっぱいに広がるのは、ピッカピカに磨き込まれキラキラ輝くお大事ブーツのクローズアップだ。観客はドギマギし、何が始まるのかな?とワクワクし、一気に映画に引き摺り込まれる。そこにビー・ジーズのノリのいい『ステイン・アライブ』が 🎵 ズズンチャチャッチャッ ズンチャッチャ ズズンチャチャッチャッ ズンチャッチャ 🎵 と被ってくる。もうここで鳥肌ものだ。とたんにブーツはリズムを取り、履いている男の派手な全形が現れて、ブルックリン大橋をカッコつけながらマンハッタンの街へと渡って行く画面になる。誰が見たって「これからディスコへお出ましだ!だって今夜は土曜日だぜ」とわかる。一瞬でこの映画のコアを現す演出が秀逸だ。
70年代後半のディスコ・ブームを牽引して大ヒットした作品である。観客の皆が皆(中にはシラけた硬派もいたろうけど)映画と共に座席の中で肩を揺らし腰を動かし足でリズムを取りながらノリノリ状態で観たはずだ。ブーツの主はまぶしげなブルーアイズが魅力的なジョン・トタボルタ。この前に出演した『キャリー』ではあまり目立たない男の子役だったから、『サタデー・ナイト・フィーバー』の主人公への大抜擢が彼をスター街道まっしぐらへと導いたことになる・・・

ということを今回のこのコラムのスタートとして書いていた昨日、つまり8月9日の朝、仔猫のモモが消えていた。朝を伝える“ひと鳴き”が聴こえてこなかったので住まいにしている車庫へミルクを持って行くと、誰もいない。8日前からねぐらとなったここで朝ご飯を待ちながら、同居の黒猫クモスケに纏わりつきピョンピョン跳ね回っているはずなのに、そのクモスケもいない。お腹空かせてしょっちゅうピイピイ鳴いているコがどうしたの、と不安になって家の周りを探した。モモ、モモ、と呼んでいたら生垣の繁みからクモスケが出てきた。寝ぼけた表情だ。モモは?と訊くと知らんと言う。おかしいなあ、取り敢えず他の連中(クモスケ並びに裏庭に暮らすマミ一家)に食事を出して、その後探そう・・・と家に入った。

鶴見くんの「桃のとげの話」に引き続きモモの話となるのはご縁のある証拠かもしれないが、こっちのモモ話は11日前の7月30日の夜中、押しかけ的にやってきたはぐれ仔猫についてである。それが昨日の朝消えたのだ。原稿を書き進めなければと思うが突然の消滅に気持ちがざわついて落ち着けない。何度も車庫に行っては、それまでの幸福色からモノクロームに一変した寂しい光景をしょんぼり眺める。右隣の駐車場、左隣のコインパーキング、お向かいの社宅、斜めお向かいの新築屋敷などの周辺を、モモ、モモ、モモと小さく呼んで探し歩いたあとで机の前に座っても、そうすんなりとは映画の話に戻れない。これではまたまた原稿を遅らせることになりかねないので、急遽テーマをモモに切り替え書き始めることにした。それなら書けるだろうと思ったのだ。猫に興味のない人にはごめんなさいになるなあ、と躊躇したけれど、ま、興味のない人は読まないか、とパソコン画面を立ち上げた(本当は“ペンを取った”と書いたいところだが)。

私はこれまでたくさんの猫と暮らしてきたが、そのすべてが保護猫、つまり野良であり捨て猫であり家なき子だ。なぜかそのような猫と巡り合ってしまい、来られてしまう運命にあるようだ。決して自分から飼おうとしたことはなかった。いや、一度だけ、熊本に帰ってきてからだけれど、新聞に「処分される日が近づいている私たちを助けて!」という記事を見つけて我慢できなくなり動物愛護センターへ譲り受けに行った。そこに保護されているすべての猫を助けることができない現実にもがきながら2匹の仔猫を連れ帰った。それが初めての自ら飼おうと求めた猫だ。2匹は今家の中でのうのうと暮らしているがこれは特例。
現在は押しかけ組が庭に3匹(マミ一家)、表の車庫に1匹(クモスケ)いる。ここに来て6年から10年経った連中だ。外だけで総勢7匹のときもあったからだいぶ減った。日記は三日も続かない人間だが、押しかけてきた猫については、例えば体調が悪くなったり、どなたかが貰って下さったりして、運命がその後どうなるかわからないので、ここに来てから落ち着くまでの日々をノートに記している。モモについてもたった11日のことだけれど記録した。たった11日といっても長文癖なので長い。他人の長い日記ほどつまらないものはないと思うので、かなり削りつつ、しかし説明は少し足しつつ、それを書き写すことにした。他の話に気持ちが入らない今はこんなことで勘弁願えたらと思うのです。

7月30日 深夜、表の車庫のほうで仔猫の啼き声。その声があまりに大きいので見に行くとミイミイ喚きながら小さな塊が少し開けているシャッターの下から飛び込んで来た。寝ていたクモスケ激怒する。大げんかとなり塊退去。暗いのでどういう仔猫かわからない。部屋に戻り、もうウチは手一杯、どこか他の家に行っておくれ、と祈りながら寝る。
7月31日 早朝から啼き喚く声。それにクモまで合唱するので、近所迷惑と飛び起き外へ出た。どこかに行ってくれと願ったがやはりいたのか、とガックリだ。近づくと逃げる。人馴れしていないから野良の子供だろう。チラッと見たところでは生後2ヶ月いくかいかないかの超チビで三毛だった。1匹だけのようなので、捨てられたか、母親とはぐれたか。逃げ惑う仔猫に「ウチはもう満杯だよ、頼むから他へ行って」と叫ぶ。逃げるくらいならどこか別のところへ行けばいいのだ。けれど遠くへは行ってくれずに隣の駐車場の草むらや車の下で喚き続ける。ご近所迷惑これ以上なし。あの10数センチの小さな体のどこからこんな大声が出るのだろう!生きることに必死なんだな、と思うと、ついホロっとして、車の脇にご飯(ウエット)を置いてしまう馬鹿な老人だ。
塀に隠れて見ているとすかさず出てきてわしわし食べる。ご近所に「またヨシモトさんちの猫騒動か」と感づかれる前にと、少しづつ置き餌をして駐車場から家の方へと誘導した。外からは見えない前庭の通路にお皿と水を入れた小さなボウルを置き、家に入って窓から観察する。サッと来て食べているからさすが雌猫、状況察知に賢いようだ。グレーとベージュと肌色の三毛で、ぜんたいが桃色に見える。夜ご飯もそこに置いた。これも残さず完食する。成猫用のウエットとカリカリだけど、取り敢えず今夜はこれで満足してもらおう。
8月1日 朝から啼いている。門の生垣の下にいるらしい。静かな住宅地なのでその声はひとしきり響き渡る。ご近所から苦情が出るかも、やばいやばい、と慌てて朝ごはんを生垣の下に置いた。するとクモが来てそれを食べる。仕方ないのでもう一皿出して離れたところから眺めると、チョロチョロと生垣下から出てきて口をつける。食べながら仔猫特有の「ウンゴウンゴ」という喜びの声を出す。これがたまらないほど可愛らしい。チビとクモ、2ひき並んで食べているのは不思議な構図だ。なにしろクモは裏のマミ一家を日に何回も襲うというヤクザな猫だ。そのスピードや暴力度合いはシマウマを襲うチータの如き。マミ一家には暴力団として恐れられているのに、なんと仔猫に優しいとは。そういえばこういう関係、ヤクザ映画で見たような気がするが。
夜はミルクとウエット、そしてカリカリ、すべて仔猫用を与えた。車庫に入ってクモと並んで食べていた。クモがそばにいると安心するようだ。

8月2日 早朝、クモスケが鳴き喚くとチビも一緒に啼き始める。すごい音響でいい加減やめてくれとベッドから這い出る。午後は裏のテラスまで来てチョロチョロしている。仔猫は好奇心旺盛だ。夕方車庫に戻って走り回っているので、どうやらここを根城と決めたらしい。おいおい、ウチは手一杯だよ!と言いながらも、彼女のためにベッドを作り、食器も並べる老女である。歴代の仔猫たちが愛用していたヒモやぬいぐるみも出してやった。それらで遊ぶチビをクモは離れたところから大人っぽく眺めてる。

8月3日 朝、なぜか静かな車庫を覗くと奥に2匹並んで眠っていた。ちょっと感動。クモスケはこれまで寂しかったのかもしれない。それで裏の仲良し一家をイジメ回してしまうのかもしれない。確かにチビが来てからのここ数日、一家を襲撃することはなかった。どんどん、このコを飼ってもいいような考えが強くなる。まずい。
少しでも涼しく過ごせるように車庫の中を模様替えした。風よけに貼り付けていたカーペットを剥がし、すだれに変えた。段ボールの爪研ぎとカゴも用意した。

8月4日 桃色なので「モモ」と名付ける。仔猫が来た初日からLINEで相談している猫友だち、橙書店の店主ひさちゃんにそう告げると「とうとう名前付けちゃった」と呆れられた。うーむ、そうだなあ、こんなじゃもう追い出せないね。
「モモちゃん」と呼ぶと頭を傾げてこちらを見る。呼ばれているのがわかるのか。相変わらず逃げ惑うが、車庫の中を走り回って怖がってはいない。クモスケをブラッシングしたり耳掃除したりしているとミイミイ鳴きながら近づくので、ついで小さな頭をブラシで撫でてやった。するとゴロゴロと小さな体が破裂しそうに大きな音を出している。近づいたり、離れたり、少し私にも慣れたようだ。飛び付かれたり抱き付かれたりしているクモスケ、戸惑いつつも大人っぽく悠然と構えている。

8月5日 今日も元気いっぱいだ。朝、ミルク、ウエット、カリカリを完食。猫は他人(他猫)のご飯にやたら興味を抱くものだが、仔猫用のをクモが食べたがり、成猫用をモモが食べたがるので手が掛かる。蘭の葉っぱ、日除けカーテン、カゴの敷物、何でもが遊び道具だ。今夜も2匹並んで寝ている。幸せなり。

8月6日 朝から車庫内を走り回るモモ。仔猫パワーは恐ろしいほどだ。自転車のカゴに入ったかと思うと、そこから下に寝ているクモスケ目掛けて飛び降りる、を繰り返す。クモ、よく怒らないなあ。こんないいヒトでしたっけ? なるほど、孤独な男にたった一人きり仲良しができたってことなんだね。

8月7日 朝、玄関のドアを開けるとミイミイと鳴きながらクモと一緒に挨拶に来た。挨拶されるのは初めてだ。やっと私を認識したのか。クモスケをブラッシングしていると「わたしも、わたしも」と懐いてきて、擦り寄ったり足に抱き付いたりする。随分慣れてくれた。もう撫でることも、捕まえることも、耳掃除することも許してくれる。午後は裏のテラスまで来て、家の中を眺めたり庭を走り回って好奇心全開!

8月8日 朝から元気。玄関ドアを開けると同時にピイピイ鳴きながら挨拶に来た。今日はモモの全身をブラッシングした。初めての心地よさに派手にゴロゴロ言わせている。食事の後クモスケは定時の見回りに出る。モモは生垣の下で二度寝(猫の場合はだいたい寝ているので二度寝とは言わないだろうけど)。本当は、検査、ワクチン、フロントライン(蚤取り薬)を塗りに動物病院へ連れて行くつもりだったが、あまりに暑く(外は36度か?)、自転車に乗る勇気がなくて中止した。裏のマミに塗ろうとして失敗したフロントラインが半分量残っていたので、それをモモの首筋に塗る。
夜は長いこと車庫で過ごした。ヒモ遊びをするといつまでもピョンピョン飛び跳ねて元気いっぱいだ。早く寝ておくれ。私はこれから部屋に戻って“クモスケ・モモの同居生活”日記を書かねばならないのだから。

8月9日 朝、車庫に行くとモモの姿がない。前庭、裏庭、右や左の駐車場、道路も探すが姿なし。そういえばいつもの早朝鳴き喚きも聴こえなかった。お腹が空くと鳴くのに今朝はどうしたんだろう。クモスケもいない。再度隣の駐車場の草ボーボーの中を探すがいない。そこへ朝の巡回から戻ってきたクモスケが来た。モモに何があったか訊いたがわからんと言う。私、パニックになる。

日記はそこで、つまり昨日のところで終わっている。今日も、姿もなければ声も聴こえない。橙書店のひさちゃんは「待ちましょう」と言うが、成猫だと自分の意思で家を出るとか留守にするとかあってひょっこり戻ってくることも期待できるが、あんな小さな赤ん坊猫にそんなことがやれるはずもない。であれば答えは、①車に轢かれ遺体はすでに処理された、か②どこかで身動きできない状況に陥っているか、③誰かに連れ去られた・・・の三つのうちの一つだろうが、いずれにしてもわからないのでどうしようもない。昔読んだ「ノラや」でメソメソ泣いていた内田百閒センセイの気持ちが今は痛いほどわかる。唯一の希望は連れ去られた先で可愛がられていれば、ということだ。であれば何も言うことはない。戻ってこなくても構わない。
可愛さ真っ盛りのときだったから、それもごくごく短い間だったから、フイにいなくなられた喪失感はハンパなく、日に何度も車庫や玄関先で「モモ、モモ!」と呼んでみる。鳥の声やお向かいの社宅の赤ちゃんの声が空耳となってあのコの声に聴こえてきて、そのつど外に出て周囲を見回す。クモスケが寂しがるのではないか、部屋暮らしの神経質な猫ムーたんが情緒不安定に陥るのではないか、などと心配してやめていたが、すぐに部屋に入れるべきではなかったかと今さらながら悔やまれた。
今朝、トイレに立ったついでに窓から車庫を眺めてみた。車庫とトイレは隣り合わせなのだ。モモの姿の消えた車庫の、風通しのために少し開けているシャッターの下に、忘れられた黒い襟巻きのような形でクモスケが独り眠っていた。

つづく。

第九回はこちら