コーヒーと映画と与太と妄想と 第十二回

コーヒー寸話

野球ファンなので今回のWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)は近年になく楽しめた。中でも優勝確実視されていたアメリカの大金持ちのメジャーなやつらから侍ジャパンが勝利をもぎ取った決勝戦は、私にとっては人生最後のご褒美のように甘美な試合内容だった。しかしWBCについて書き始めると終わらないからそれはやめて、一つだけコーヒーに関するニンマリしたシーンをチラッとお話ししたい。
それは3月16日東京ドームで行われた準々決勝の日本VSイタリア戦でのこと。守備が終わってベンチに戻ってきたイタリア・チームの選手たちが次々と手に隠れそうな小さな紙コップを持ち何か飲んでいる様子に目が止まった。通常ベンチには冷えたミネラルウォーター、ジュース、スポーツドリンクなどのスポーツ時必要とされる飲み物が用意されている。選手たちは流れる汗を拭き拭きそれらをボトルから直にグビグビ飲んでいる。こんな小さな紙コップを手にした光景は初めてなので「あれ?」と思い、何を飲んでいるのか気になり、イタリア人だから「もしかして」と目を凝らすと、なーるほど、ベンチの隅に小さなコーヒーマシーンが置かれていたのだ。
選手たちはマシーンのコック下に紙コップを置きコーヒーを注いでいた。ごくごく小さな紙コップなので注がれているのはたぶんエスプレッソだろう。試合中のベンチでもエスプレッソを飲むなんてイケてるじゃないか、さすがはイタリア人、水分補給のその前に1杯のエスプレッソで一息付きたいってわけなのか、と、そのこだわりにニンマリしたのだ。
今年の2月までNHKで日曜日の夜11時から放映されていたイタリアのテレビ・ドラマ『DOC』でも、休憩時間ドクターたちが病院内のコーヒー自販機から小さな紙コップに注いだエスプレッソを取り出すシーンを何度か見た。もう長いこと外国に行っていないので知らなかったが、今やヨーロッパにも自販機があり、さらにエスプレッソまで飲めるのか、と驚いた。ヨーロッパでもアメリカでも、私が行っていた30〜40年前なんて街に自販機など見当たらずに難儀したから、いやあ隔世の感ありで、長生きはしてみるもんだと思った次第。
エスプレッソとか、それ用のデミタス・カップとかの存在を初めて知ったのは、たぶんロッサノ・ブラッツイが出ていた映画の一場面だったと思う。あまりに昔のことで記憶はあやふやなのだけれど『旅情』ではなかったかな・・・。中年男の魅力をたっぷり湛えたブラッツイのごつくて大きな手に握られたデミタス・カップがおもちゃのようでビックリした。それをクイッと一息で飲み干すところが小娘にはやたらカッコよく見えた。そのときはまだエスプレッソという言葉も知らず、なんでカップがそんなに小さいのか、なんで少量しか飲まないのか、と不思議に思い、いったいどんな味がするのだろうかと興味を覚えた。
大人になって意気揚々、東京の珈琲屋やイタリア料理屋でエスプレッソを飲んでみた。苦い味は好みだったが、確かにこのように濃くて苦いと少しの量で十分なのだと理解できた。エスプレッソはその名の通り、急いでいるとき、パッと注文し、スッと出てきたら、クイッと飲み干し、サッと立ち去る、それが正しいというかカッコいい飲み方で、喫茶店や珈琲屋でダラダラと長く過ごすタイプの自分には不向きなこともよくわかった。けれど1度だけ、正調エスプレッソの味わい方を実践したことがある。場所はミラノ空港のコーヒースタンド。飛行機の出発時刻に迫られて仕方なくクイッとやってパッと切り上げた。思えばあのとき飲んだものが一番美味しいエスプレッソだったかもしれない。
アドバタイジングするわけではないが、ここ数年、オオヤコーヒの豆を定期購入している。ひと月300グラムを年に10回送ってもらう。購入側に豆の種類の選択権はなく、毎回オオヤコーヒの言いなりである。そしてこのシステムが私には都合がいい。
豆に関しては保守的で、街の珈琲屋で豆を選ぶといろいろ迷っても結局いつもの豆(マンデリンかフレンチロースト)に落ち着つくのが常だった。そのため多種多様な豆の味を知らないまま老境に達してしまった。それがちょいと悔やまれるのだ。老境である以上この先コーヒーを愉しんでいられる期間はそれほど残されてはいない。であれば頭のはっきりしている今のうちにいろいろな豆の個性を感じてみたい。そういう立場にオオヤコーヒの“勝手に送り付け”はとてもありがたいシステムである。家でぼやっとしても月に一度、つまり年に10回、異なる味が送られてくる楽しみがある。
ポストから袋を出しては匂いを嗅ぎ、キッチンで開封しては匂いを確かめ、その匂いに包まれて新しい豆を挽くときのわくわく感は何に相当するだろう。湯を注ぎ、ポタポタ落とし、ドリップ仕立ての琥珀の液体の匂いと味を「あ、先月のとはちょっと違う」と感じたときの満足感。自分で選んだのではなく、すべては“言いなり”になっているからこそ得られる新鮮さ、受動の喜びなのである。
むろんコーヒーは毎日飲むから月に300グラムでは足りない。足りないのなら購入量を増やせばいいのかもしれないが、それは嫌だ。足りなくなったら街へ出て豆を売っている店で何かしら(といっても保守的だから大抵マンデリンになるが)買って凌ぐ。常に特上のものばかり味わっているとそれが普通、当たり前のことになり感動が薄らいでしまうのがもったいなくて嫌なのだ。人生何事も“馴れ”はヤバいのです。
3月に送られてきた豆はペルーのレッドコンドルだった。豆の世界には疎いのでよくわからないが、あんまり聞かない名前なのでやたら滅多には手に入らない豆ではないか?と期待が膨らんだ。“中深ヤキ”で頼んでいる私の手元には艶々と黒光りするふっくらした豆が並ぶ。瀬戸さんがお休みしたいのも我慢して焙煎してくれた豆と思うと、豆の一つひとつが瀬戸さんの顔に見えてきた。「人の顔の見える野菜作り」とはよく聞くが、であれば差し当たりオオヤコーヒは「人の顔の見える豆作り」と言ってもいいんじゃないだろうか。
レッドコンドルは深いコクと苦味がマンデリンを思わせ、私好みの味だった。マンデリンにはハーブの風味が残るけれど、レッドコンドルには何とも言えない“暗い感触”があって最初口にしたときはゾクっとした。熱帯のインドネシアと山岳地帯のペルーとの気候の違いが出ているのかな、と素人頭で考えたのだが。
再三出てくるマンデリンだが、酸味の少ない爽やかな苦味が好きで長いこと親しんでいる。最初に口にしたのは20歳のときだ。先輩に連れられて初めてコーヒー専門店というところに入ったときだ。メニューを見ながら先輩は「僕はマンデリンを」と注文した。それまで「コーヒーお願いします」としか注文したことのない小娘は目の奥が真っ赤になった。コーヒーを注文するときは「コーヒーお願いします」でいいと思っていたのだ。それまでは喫茶店で何も考えずに「コーヒーお願いします」と注文していたのだ。それを恥と受け止めた。メニューには豆の種類がいろいろ並んでいた。何もわからないから「私もそれで」としか言いようがない。「うん」と言って先輩は柔らかく微笑んだ。
運ばれてきたマンデリンを恐る恐る口に含むと今までにない味わいが口中に、そして脳天に広がった。それは木々や苔が朽ち果てた深い森の中の土や菌の匂いのような香ばしさを含んでいた。自分が小さな虫となって倒木の洞の中に憩っているような安らぎを感じた。理由なく懐かしい風味だった。以来マンデリンは人生の友のようにそばにある。オオヤコーヒの定期便でも年に1回くらいマンデリンがやって来る。そのときは久しぶりに旧友が遊びに来たかのような気分になって、毎朝起きるのが楽しみになる。

つづく。

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