コーヒーと映画と与太と妄想と 第四回

コーヒーをもう一杯

♪one more cup of coffee フフフンフンフンフ〜ン♪ 月並みだが未だにコーヒーを淹れているとつい口ずさむ・・・というかハミングしてしまうボブ・ディランの「One More Cup Of Coffee」、1976年というディラン絶頂期に発表され日本でも大ヒットした曲だ。私もこの曲の入ったアルバム「欲望」を買った。ギター上手な友人はディランのあの念仏のような歌い方を真似て大胆にも渋谷の路上で歌い、10人ほどから拍手された。思えば半世紀近く前のこと。その頃私は20代後半、家でコーヒーを淹れながらこの曲を流し、今の暮らしもそろそろ変える時期かも知れぬ、なんて考えていた。この曲の、別れや旅立ちの歌詞内容にそそのかされていたのだ。「風に吹かれて」「時代は変る」「ライク・ア・ローリング・ストーン」そしてこの曲。次々と生み出されるディランの言葉に強い影響を受けながら大人へと向かって行った当時の若者たちの私もその中の一人だった。
で、何をしゃべりたいのかと言うと“One more cup of coffee”つまり「コーヒーをもう一杯」という言葉と対になる「おかわりはいかがですか?」という問い掛けを現実として耳にしたときのことについてだ。
子供の頃、アメリカ映画でコーヒーサーバーを持ったウエイトレスが「Do you have a coffee?」と聞きながら歩き回り、客のカップにコーヒーのおかわりを注ぐシーンに目を奪われていた。いいな、いいな、アメリカの喫茶店ではおかわりができるんだ、タダで何杯も飲めるんだ、さすがは自由の国アメリカだ、と羨ましかった。だから大人になり、喫茶店に通うようになって、日本語だったがその言葉「おかわりはいかがですか?」を初めてナマで聞いたときの嬉しさったらハンパなかった。さらにそれに至るまでの出来事がその嬉しさを倍増した。そのときのことは脳みそにしっかと刻み込まれている。物忘れ激しき世代となった今でも“きっかけ”さえあれば、すぐに、鮮明に、思い返せる。
最近そのきっかけとなったのが、前回ここに書くために見直したジム・ジャームッシュ監督のオムニバス映画「コーヒー&シガレッツ」だ。11の小話からなるその中には「おかわりはいかが?」とウエイターが、口にするか目配せするかしてコーヒーのおかわりを勧めるシーンが何度も出てくる。中でもいちばんのきっかけと思えるのが5本目の「ルネ」というショートコントだ。それに合わせて自分の「おかわりはいかが?」話も書くつもりでいたのに、他の話が長くなりすぎたためそれは今月になったという次第である。で、「ルネ」はこういうお話だ。
ルネがコーヒーショップで雑誌を見ながら一人くつろいでいる。と、そのテーブルにウエイター(E.J.ロドリゲス)が色目使いながらやって来て「おかわりは?」と言う。静かに憩っていたいルネは首を横に振るが、またすぐにやって来ておかわりを勧める。どうやら彼女をナンパしたいらしい(ナンパという今では禁句になった言葉を使ったが、このシーンではこう呼ぶしかない状況なのでお見逃しを)。断ってもたびたび来ては「おかわり」を促すウエイター。ウザイのである。コーヒーの色や温度にこだわりを持つルネは苛立ってカップに手で蓋をしてNO!を示す。そのとき男は気が付いた、彼女が読んでいる雑誌はファッション誌などではなく銃マニア向けの銃を取り扱う通販誌であることに・・・という“落ち”の小話なのだが、そのウエイターのねちっこさというか独りよがりが私の記憶を揺さぶった。昔々のある出来事が鮮明に蘇って来たのだ。

ときは50年ほど前になる。場所は銀座5丁目の数寄屋橋交差点角に建つソニービル。その1階のコーヒーショップ「カーディナル」が舞台である。最近東京の知人から聞いた話では、そのソニービルはだいぶ前から“旧ソニービル”と呼ばれ、2017年に解体されて今は影も形もないそうだ。あれを解体?!と驚いたが旧ソニービルの竣功は1966年というから築51年。日本においては解体されてもしかたのない年月である。跡地には新しいソニービルの建築が計画されているそうだ。まさに「時代は変る」なんだなあ・・・と、ため息が出た。何だか自分のことのようにも感じられて。
「カーディナル」は当時斬新なアメリカン・スタイルのコーヒーショップだった。広いガラス張りの窓辺に鮮やかな色のプラスチックのテーブルや椅子が並び、ぜんたいとしてオレンジ色(カーディナルという鳥の色)に纏められたやたら明るい店内は、薄暗い内装の喫茶店が幅を利かせていた時代では画期的な存在だった。そんな時代の先端を行くような店は、しがない雑誌編集員の娘の行くようなところではないのだけれど、初めてのその日は彼と待ち合わせだったから勇気を出して席に着き、コーヒーを注文した。
彼を待ちつつ本を読むといういちばん愉しい時間となるはずが、頭上から「ヘイ!カノジョ!」という平べったい声が響いて中断させられた。顔を上げると対面の椅子にもたれかかるようにして黄色っぽいスーツの男がニヤついている。なんと知っている顔である。それはどう見てもミッキー・カーチスの顔である。私は驚き、絶句した。ミッキー・カーチスと言えば少し前までロカビリー歌手として活躍した誰もが知っているミュージシャンだ。そんな人がなんで今私の目の前でニヤついているのか、と。
目を丸くしている(はずの)私に向かってその顔は「どっか行かない?」と訊くのだった。私は正気に戻って「嫌だ」と答えたと思う。その顔は「じゃココ座っていい?」と腰を下ろそうとした。「ダメです、人が来るので」とあわてて言うと「カレシ?」とか何とか言って、体をぐにゃぐにゃさせた感じで顔を覗き込む。頷くと「デート?」とか「そんなのやめて一緒にふけようよ」とか言う。いくら有名人でもずいぶん失礼な態度じゃないか、とむかついて、吐き出す言葉を探していると、「おかわりはいかがですか?」と言いながらサーバーを持ったウエイトレスさんが近づいて来たのだ。その笑顔は「かまわないほうがいいわよ」と言っているように見えた。私は頷き手を挙げて「はい、コーヒーをもう一杯ください」と言った。憧れの「おかわりはいかが?」のナマ言葉に初めて遭遇した瞬間だった。おかわりのコーヒーがカップに注がれているうちに、いつの間にかミッキーは姿を消していた。このウエイトレスさんが窮地を救ってくれたように私には思えた。コーヒーはもちろん薄めのアメリカンだ。でもそのときの私には深い味わいに感じられた。
遅れてきた彼に「待たせるからミッキー・カーチスにナンパされたよ」と事情を述べると、一瞬間を置き、プハッと吹き出して彼は言った、「それ、いつものモーソーじゃない?」

「カーディナル」はその後もたびたび利用した。務めていた洋画雑誌の編集部が近くだったし、日本橋の会社に勤める彼との待ち合わせにも便利だった。おかわりを頼めるので何時間いてもコーヒー一杯分のお金ですむのが嬉しかった。ここの窓辺でぼんやりとお茶を飲んでいるルノー・ヴェルレーを見たことがある。ルノー・ヴェルレーとは、もはやご存じない方のほうが多いだろうから説明すると、1968年のナタリー・ドロンとの共演作「個人教授」で名を上げたフランスの男優だ。年上の女性と青年の恋物語で、ついでに言うとナタリー・ドロンはアラン・ドロンの元妻である。杉村春子と張り合える大きな頑固そうな口が魅力的だった。
ルノー・ヴェルレーは私より3歳年上だから「カーディナル」でお茶していたときの彼は25か26歳だ。市川崑監督の「愛ふたたび」という日本映画に出演が決まり来日中だった。一人なのでお忍びで銀座を散歩していたのだろう。スクープになるかもと思ったが、お忍びだったら悪いので編集部には知らせなかった。知らせたらカメラマンがすっ飛んで来たはずだ。何せ近くて小走りなら3分ほどで到着だから。
「カーディナル」はそれから10年くらいでリニューアルした。明るくドライなアメリカン・スタイルがウィーンかどこかのカフェのような欧州スタイルになった。店内の色調もオレンジ系から紫系に変わった。奥をアール・ヌーヴォー風の豪華なソファが陣取って、コーヒーも濃い目になった。すると客層がサラリーマンと金持ち系になり、私の足は次第に遠のいた。

 

つづく。今回は、更新が遅くなり申し訳ありません!次回の掲載は5月8日を予定しております。